【正式名称】
正式には、無量山 傳通院 寿経寺(むりょうざん でんづういん じゅきょうじ)、または小石川伝通院ともいい、
仏教浄土宗の寺、江戸三十三観音の第十二番札所(*1)で、「でんずういん」とも書かれる。
*1・・・江戸三十三箇所とは、東京都内にある33箇所の観音札所のこと。江戸時代に西国三十三箇所や
坂東三十三箇所などの観音霊場巡礼が流行した際、各地で新たな札所が設けられた。
【由来】
伝通院と呼ばれる由来は、徳川家康の生母の於大の方(おおだいのかた)が埋葬されているため、
於大の方の法名である「伝通院殿」から院号を変更した。
また、増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提所次席(*2)ともなり、増上寺・上野の寛永寺と並んで、
江戸の三霊山と称された。境内には徳川家ゆかりの女性や子供(男児)が多く埋葬されており、
将軍家の帰依が厚かったとされている。
*2・・・菩提寺(ぼだいじ)とは、先祖代々の位牌やお墓が置いてあり、葬儀や法事を行う寺のこと。
【一口メモ】
幕末の文久三年(1863年)二月四日、将軍警護の為と称し、新撰組の前身となる浪士隊が山内の
塔頭処静院(しょじょういん)で結成され、山岡鉄舟・清河八郎を中心に近藤勇・土方歳三・沖田総司・
芹沢鴨ら250人が集まったとされている。 |